ゴミの山

便所

夕闇ハウス

梅田で自殺した女子高生が話題になっている

 

誰のためでもなく、何の意味もなく、産まれたいと願ったわけでもなく、1400兆分の1の確率をたまたま引いて生を授かるのが人間だ

 

人間をはじめとする全ての生物は産まれるということを拒否する権利はない

 

全ての生物は遺伝子レベルで、本能的に子孫の繁栄を第一に生きている

 

しかし、人間に限っては死ぬ権利(子孫の繁栄を無視して自殺を図ろうとする感情、自殺の選択)が存在する

 

昆虫や魚類は自殺をしない

自然淘汰や、より強いDNAを効率的に残すために生殖行為を終えたらオスがメスに食われたり、オスがメスの身体と同化する生物はいるが、死にたいと思って自殺をする生物は人間以外にいない(イルカが自死をした、という話もありますが)

 

万物の霊長と言われる人間は、他生物に比べて異常なほどに脳が発達しており、感情がある

 

自殺は脳の発達が人間にもたらした一種の賜物であると思う

 

自殺=悪いこと

そんな風潮があり、人に迷惑をかけるから、人が悲しむから、人生が勿体ない

 

などとのたまう人がいるが、人間はいつでも誰でも自殺しようと思えばできる脳を持つため、自殺の権利を持っていると言える

 

その権利を行使するか否かは自分次第であり、75億以上存在する人間のうち1人が死んだところで人間という種が絶滅することは100%ありえない

 

日本や世界を代表する大手企業の社長が自殺しても、ホームレスや生活保護で暮らしている人が自殺しても、人間が絶滅することはない(社会に与える影響の大小はありますが)

 

生物学的に見れば、人1人が、誰が死のうが子孫の繁栄に大きな影響はない

 

産まれた瞬間に全ての人間に平等に命は分け与えられる

しかし人の価値は人によって様々である

 

感情が人の価値を左右すると言っても過言ではない

 

 

話を戻すが、自殺した梅田の女子高生の友達や家族は「自殺しないで欲しかった」と思うだろう(実際は知りません)

 

その「自殺しないで欲しかった」という気持ちの根本はエゴであると思う

 

友達が自殺したら悲しい、友達が減る

家族が自殺したら悲しい、今まで養っていたのに

 

友人や家族の死に対して悲しいと思うことは至極当然のことであり(人によりますが)、何も悪いことではない

 

しかし、このように人間の感情の根底にはエゴが存在していると思う

 

 

高校時代、仲が良かった友人が不登校になった

友達が少なかったので悲しかった

LINEで「学校来てよ」と送ったことをよく憶えている

 

その友人はときどき学校に来ていたが、彼は本心では学校に来たくなかったと思う

つまり、自分のエゴから出た言葉が友人を動かしたのだ

 

「学校来てよ」という言葉が、エゴなのか単なる友情から生まれるものなのか、自分でもよくわからない

考えれば考えるほど意味不明になっていった

 

結局、友人は単位が足りず留年してそのまま中退をしたが、自分はどうすればよかったのだろうか?毎朝、友人宅へ迎えに行き、LINEをし、学校に来させるべきだったのだろうか?自分のエゴからくる言動で彼を縛りつけることは友情と言えるのだろうか?

 

どんな人間もエゴの上に成り立っている

自殺した女子高生も、他者の強いエゴからくる言葉を聞いていれば自殺しなかったのだろうか?

 

そう考えると、エゴが自殺を止める一つの方法であったと言えるのだろうか?

 

女子高生の死にたいという感情も、周囲を慮らないエゴの塊なのだろうか?

 

 

 

ちなみにこのブログはブロンODして発泡酒飲みながらタバコ吸いながら書いているので何の意味も意義もありません伝えたいことないです

 

さっき駅前行ったら千鳥足の外人やら終わっちゃってる客引きだらけでサイアクだった

 

はやく都内の新築1LDKに住みたい

お金ください  ホ別100億

 

準無職フリーター音頭踊ってます今

ズンチャ♪ズンチャ♪

 

死にま〜すw